by norbulingka 2017年4月より、大分県国東市にある古民家を改築したゲストハウス・民宿を始めます。 websiteはこちらです。 自然からの採取や農作業、お料理、工作や大工仕事まで、ご一緒にここでの暮らしを体験できる「体験型宿泊」と、共同キッチンを利用できるシンプルな食事無しの「素泊まり」と、2種類の宿泊タイプをご用意しています。
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若かりし頃、中途半端にキャリア指向だった私ですが、20代終わりから30代後半まで務めた会社で365日のうち休みが1日だけ、という事態になり、他にも色々あって強行退社し、1年休業。
自分を見つめ直し、生まれて初めて自分を取り戻し、価値観が一変して派遣に転身しました。 ところが、そこでもいつのまにやら責任者になってしまい忙しい日々。 数ヶ月遊んで暮らせる貯金がたまったところで、「もう仕事なんてしない」と決めてとりあえず沖縄の西表島に1ヶ月滞在しました。 宿にした素泊まり1泊1500円の民宿は目の前が海で最高でした。 その後西表で友達になった女性(久米島の人と結婚して永住)に誘われて久米島に2ヶ月滞在。 そこでぶっちゃけ、現地人のカレシができ、一旦東京に戻って家財道具をまとめ、犬2匹を連れて久米島に移住しました。 親が見たら泣き崩れること間違いなしのトタン屋根の小さな廃屋を借り、自分たちで手を加えて住める状態にしたのですが、そうやって久米島で過ごした1年強、人生で最も貧乏でしたが、最も楽しい家と生活でした。 どんな生活かというと、いわゆる「狩猟採取」の生活です(笑) たんぱく源は海に行って調達です。 昼は釣りでカラフルな熱帯魚が釣り放題。 月が出ている夜はモリを持って岩場に行き、 潮溜まりで寝ている魚や海老、蟹、時には蛸なんかもつかまえました。 そうやって獲った魚など、ただ素揚げにして採ってきたシークワサーをしぼって食べるとめちゃくちゃおいしくて、山と盛って食べていました。 山に分け入ると竹やぶがあって、本州の孟宗竹と違う細い竹の筍が採れ、あくがなくて本当においしかった。 人跡未踏の藪に分け入っていくので、ハブにやられたら一巻のおしまいですが、他に誰も取らないので筍の時期は取り放題でした。 そして、家の回りでも、海岸でも、そこら中に食べられる葉っぱが生えています。 「これは風邪ひいた時に効く葉っぱ」「これは胃がやられた時に効く葉っぱ」とカレシが教えてくれました。 どれも薬草です。 気に入った葉っぱはひっこぬいてきて自分の家の庭に刺しておけば自然と増えます。 沖縄では紫芋を作ってますが、芋もおいしいですが、葉っぱもものすごくおいしい。 人の紫芋畑から葉っぱだけほんのちょっと頂戴してきて、自分の庭に刺しておくとあっというまに増えて、お味噌汁に入れて最高です。 山から流れてくる小川にはクレソンが山ほど自生しています。 砂浜のある部分を掘ると、真っ白なあさりがザクザク獲れます。 パパイヤはそのへんにはえています。 打ち捨てられたパイナップル畑ではパイナップルが勝手にできているので、鳥に取られる前に頂戴します。 沖縄では冬瓜(沖縄語で「すぶい」)を大量に作っているのですが、収穫時期には大量のすぶいを軒下や葉陰に積み上げておき、そうしておくと半年でももつので、近所の人が「いつでも取って食べれ」と言ってくれたので、いつでも取って食べていました。 大抵の農家は出荷用とは別に、農家でなくても自家用に、無農薬で野菜を作っています。 ゴーヤ、紫芋、キャベツ、さやえんどうなど収穫時期になると隣近所、友人が野菜を持ってきてくれます。 ただし、収穫時期は皆一緒なので、一時期一種類の野菜しか集まりませんが。 台所からのびるプラスチックの排水管に穴があいていた、というかほとんどその役目を果たしていなかったのですが、そこから流れ出たゴーヤの種がいつの間にか芽を出し成長し、家の壁を這って実がなり収穫できました。 1日20品目なんてとんでもない、3品目くらいじゃないか?という食生活でしたが、俄然元気で健康で、風邪をひく気がしませんでした。 ということで、買うものはお米と調味料くらいでしたが、それも時には買えないくらいの貧乏っぷりで、お財布に100円玉が数枚でも入っていたら「めちゃくちゃお金持ち♪」という状態でしたが、カレシと「貧乏だね~」などと笑っていました。 そんな生活でしたが、生まれて初めて「自然の恵みで生かされている」という実感があり、その絶対的な幸福感は、おそらくもちろんお金では買えないし、今の日本で感じるのは難しいものかもしれません。 それまでも「自然に感謝しろ」とか「食べ物に感謝しろ」とか「あなたは生かされているんだ」とか、言葉では聞いていた台詞で、頭ではわかっていたつもりでしたが、実感して初めてそれまでわかっていなかったことに気づきました。 あれから訳あって東京に戻ってきてしまい、今は今でとても幸せなのですが、あの幸福感はありません。 でもあの幸福感を知っているので、今裕福でなくても幸せでいられて、いざ何かあった時には自然さえあればなんとかなると思っているフシがあり、あまりアタフタしないのかもしれません。 ほんとうに、自然されあれば、そして協力しあう人とのつながりさえあれば、人間は生きていけます。 幸福に生きていけます。 と書いていて気づいたのですが、都会にはその両方がなくなりつつありますね・・・。 けれどそれを「豊かだ」と言っている。 東北の方々には、自然と人とのつながりがあったから、あんなに気丈に明るく辛抱強く震災を受け止められたのかもしれませんね。 これが東京だったら・・・私は間違いなく悲惨なパニック状態になっていたと思います。 そして、自然と人とのつながりをめちゃくちゃに破壊してしまう原発は、どんないいわけをもってしても、やはり「いらない」と思うのです。 核のゴミ、放射性廃棄物の最終処分場は、今地球上に一つもありません。 北欧で唯一建設中で、地中何百mもの深さに埋めるそうですが、廃棄物が人体に無害になるまでには 10万年かかるそうです。 今から10万年前といったら、ネアンデルタール人の頃です。 ネアンデルタール人が地中に埋めたゴミを今我々が発見したとして、「これはヤバイから掘り起こすのやめよう」とは絶対に誰も言わないでしょう。 何万年後とまではいかずとも、原発を持ち続けるということは、将来技術が革新的に進歩していることをただ期待して私たちの子孫にゴミを押しつけることであり、万が一その期待がはずれた場合は人類滅亡に向かってつき進むことになるのじゃないかと・・・私は思います。 それが何万年後なのか、来年なのか、誰にもわかりません。 あ~~カテゴリ「history」ネタのつもりで書き始めたのに、またここにきてしまった。 でも、自然とか、自分とか、幸せとか、考えていくとみんなつながってくるのです。 「地球はそれ全体で一つの生命体である」と考えるガイア理論というのがあります。 そんな理論を知る前に、私もある時、その実感で涙がとまらなくなった経験があります。 自分の体内に核を持つなんて、イヤです。
by norbulingka
| 2011-05-17 23:49
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