by norbulingka 2017年4月より、大分県国東市にある古民家を改築したゲストハウス・民宿を始めます。 websiteはこちらです。 自然からの採取や農作業、お料理、工作や大工仕事まで、ご一緒にここでの暮らしを体験できる「体験型宿泊」と、共同キッチンを利用できるシンプルな食事無しの「素泊まり」と、2種類の宿泊タイプをご用意しています。
カテゴリ
スケジュール 洋裁教室について(現在は行っていません) 洋裁教室作品 OPEN LIFE(現在は行っていません Norbulingkaの商品 暮らしのしごと 日々のこと 子供と DIY eco history ご宿泊滞在記 プロフィール Do It Together わらべうた(現在は行っていません) ワークショップ スタッフ募集(現在は行っていません) 掲載本 健康 図工・工作 Norbulingkaホームページ
http://norbulingka.info
「白いコットン&リネンの気持ちよい服」日東書院 link くろねこ軒 potter's studio たとぱに 黄色い鳥器店 cafe mazekoze 匙屋 ki-to-te お気に入りブログ
最新の記事
以前の記事
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
あるところの書き込みを読んで、つい腹がたってしまいました。 娘さんが学校が嫌だと言って行っていない。 その理由が、「自分のやりたいことをやれないから。私はもっと工作がしたい」とのこと。 書き込みをしたそのお母さんは「それを真に受けていいのか葛藤している」「まずは迷う自分を自分が受け入れるところから。」と書かれていました。 子供が訴えていることを親が真に受けないで誰が真に受けるんだよ! と瞬間沸騰。 なぜ瞬間沸騰するかというと、まさに(恐らく)葛藤を抱え、抱えたまま終わった、あるいは葛藤に蓋をして終わった(私の)母に育てられた子供の立場になってしまうからです。 冗談じゃねー。 私はそのお子さんもお母さんも存じ上げないので、もちろんまったくわかりませんが、本当に工作がしたい、好きなのか、あるいはただ怠けたくて嘘をついているのか、工作が好きなのは一過性のものなのか、ちゃんとお子さんを見ている(ただ目で見ているのではなく、「どういう人間なんだろう?」と観察している)親御さんならわかると思います。 「工作が好き」という思いにしても、嘘の根底にある思いにしても、今!真に受ける時だということです。 お子さんの人生が生きるか死ぬか、命がかかっている時だということです。 揺れるグズグズの地盤の上に立たされたお子さんは不安だし不安定だし、孤独です。 そんなところに一日立たされ二日立たされ三日立たされ・・・立たされ続けたらたまったもんじゃありません。 「まずはそんな迷いも自分も受け入れて」なんて甘い悠長なことを言っている猶予はありません。 早くしっかり杭を打てる地盤を整えてやるべきです。 覚悟を決めるのです。 女性は助言や答えを必要としているんじゃない、共感してほしいんだ、とよく見聞きしますが、もしそうなら私は中身は相当男だということに最近気づきました。 他愛もない内容の話なら「だよね~~」でもちろんいいのですが、本当の悩みなら共感なんていいので、一刻も早く助言や答えがほしい。 子供のこととなったらなおさらです。 相手の立場に立って考え、自分にもそういう経験が本当にあったのならそれを伝えるのもいいですが、「共感してあげることが大切」なんて考えで共感されると、そういう「〇〇術」みたいなのは瞬間的に察知して私は気持ち悪くなります。私の場合は、です。 大体、「やりたいことは工作(料理でも釣りでもピアノでもなんでもいいです)」なんて言ってくれるお子さんを持ったなんて、なんてラッキー! 20になっても50になっても、あるいは死ぬまで自分がやりたいこと、好きなことがわからない人間だって五万といる中、幼いうちにやりたいことがはっきりしていてしかも口にしてくれるなんて、こんな幸せな楽なことはありません。 乗っからない手はないでしょう。 全力で親子で乗っかった時間は、学校へ行く時間なんて比較にならないほど重要なものになるはずです。 乗っかってやってみてから、途中で路線変更だって全然ありです。 私にも娘がいますが、「さかなクン」が理想でした。 魚が好きで、学校でも魚の絵しか描かなくて。 お母さまがそれを認め続け学校から守ったお陰もあって、今ではそれで食えているわけです。 自分が最も好きなことで食えるようになったら、そんな幸せなことはないと思います。 だから、私は娘が「私は〇〇がやりたいから学校へは行かない」とか、「集団行動には納得がいかない」とか言って登校拒否してくれるのを心待ちにしていました。 そのくらい個性が際立っていることを実は期待していたのです。 でも実際には現在6年生になるまで通っています。 それでも、時々「学校行きたくない~」と言うことがあります。 怠けたくて「行きたくない」と言う時と、ストレスから「行きたくない」と言う時と。 怠けたくて言った時は、「行かなきゃいいじゃない。そのかわり一日何をするか自分でスケジュールを立てないとね。勉強も何をどう進めていくか自分で決めなくてはならない。お母さんも手伝うけど。学校はそういうのを全部用意してくれているけど、行かないなら自分でやらなくてはいけない。自由というのは責任が伴うんだよ。」という話をし、 ストレスで言った時は「行かなくていいよ。せっかくなんだから好きなことをすればいい。勉強は必要と思うなら自分でもできるしお母さんも教える。車で日本一周の旅に一緒に出たっていいし。学校の勉強なんかよりよっぽど学べることはたくさんある。」と言いました。 (一方的にまくしたてたのではありません。娘との対話の抜粋です。) そう言った時は本気でもう「どこを回ろうか」「何をしようか」とワクワク考えていて、瞬時に覚悟ができています。(経済的にどうする?ってのはさておいて) でも結局娘は翌日学校へ行きます。 ほっと胸をなでおろしつつ、ガッカリし、「楽させてもらってるな」と娘と学校に感謝します。 いざ学校へ行かないとなったら私も本腰を入れないといけないので、娘が学校へ行ってくれているというのは親として怠けだと思っています。 そして、学校へは行かずに本腰を入れて娘とがっつり歩んだら、大変なのかもしれないけどそれはそれは楽しいだろうな~~ととても残念にも思うのです。 そうしなかったことを後で後悔するかもしれない、とも思いつつ怠けています。 そんなことできるの今だけですもんね。 私がなぜこういう考えに至ったか。 なぜ瞬時に腹が座るのか。 それは真逆な親に育てられて子供の頃から考え、今でも子供の立場で考えられるのと、事前に徹底的に自問自答して答えが出ていたからです。 もちろんその答えは私の答えで、誰にとっても、いつ何時でも正解なわけではありません。 教育とは、学校教育とは、子供に必要な教育とは、今の日本の学校はどういうところか、登校拒否したらどうするか、なぜ勉強が必要なのか、「認める」とは、生きる力とは・・・。 育児するうえですべての問いに答えが出ているわけではありません。 予想していなかった問いをどんどん娘に突き付けられるわけですから、そのたびに徹底的に突き詰めて自問を繰り返して腑に落ちる、逆に活力になる答えが出るまで一人で質問と応答を繰り返すわけです。 「〇〇とはこういうことなんじゃない?」 「いや、でもそれが本当に子供にとって必要?ない人もいるじゃない?」 「じゃ、何が必要なの?」 「△△じゃない?」 「じゃそれを獲得するにはどうすればいいの?獲得したらどうなるの?」 ってな会話を自分の中でどんどん膨らませていって徹底追及するのです。 自問を始めて眠れなくなる日もあります。 だから育児は「修行だ~」と思うのです。 私がこれを始めたのは娘が生まれるずっと前、人生の大ピンチに陥った時ですが、それ以降きっかけやネタは様々です。 ピンチの時にこれをやると必ずチャンスに変えられるので、面白くてやめられなくなります。 大ピンチほど大チャンスになります。 そうやって自問を重ねて答えを出していくことで、自分の地盤ができあがっていきます。 が、その上に立たされる娘は、私のもとに生まれた宿命のようなもので、それが娘にとって最善の地盤なのか、選択なのか、状況なのか、常に注意深く観察する必要があります。 ちなみに、娘には中学は行かなくてもいい、と言ってあります。 行ってみてから決める、ということになりましたが。 親の第一の勤めは子供の邪魔をしないことだと思っています。 あっちに進もうとしている子供の進路の邪魔をしないことです。 心配とか不安とか既成概念とか、もっての他なのは世間体とか、そんなもので邪魔をしないことです。 そんなものは子供の問題ではなく、自分自身の問題です。 邪魔をしてしまうと子供は生きる力を失います。 生きる力を失った子供は何が好きなのかもわからなくなります。 むしろ進もうとしている方向へ後押しするのが第二の勤め。 だから、ここの中学は娘の邪魔をするところなんじゃないか、という疑惑がぷんぷんするので、そうなら行かなくていい、むしろ行かせたくないくらいなのです。 もちろん私一人で答えを出すのではなく、話し合って娘に選択させますが。 それもまた娘の宿命。 子供のために、あるいは子供に何か問題が起こった時に、自問自答するのは大切で唯一の解決手段であり(親も子も十人十色なので、万人にあてはまる子育て術なんてものも正解なんてものもありません。問い続けていくのが育児だと思います)、それは一刻の猶予も許さない切迫した時もありますが、 我が家の場合はシングルマザーなので私が自問自答すればいいだけですが、両親二人がいる場合、お母さんだけが自問自答してすむ問題ではありません。 むろんお母さんの影響力の方がはるかに大なのでお母さん自身の自問自答は必要ですが、お母さん側に大きな問題があるわけではなく、夫婦関係にある場合もとても多いと思います。 お母さん側の問題は、子供を観ているようで全然観ていないこと。 子供を透かして旦那さんを見ている人のなんと多いことか。 言い方は悪いですが、どんなにだめなお父さんお母さんでも、夫婦仲がよければ子供は問題を抱えないのでは、と思います。 子供の地盤は夫婦仲、といっても過言ではないと思います。 自分のことだけだったら自問自答すれば済むので楽ですが、夫婦仲となったら相手がいるわけですから面倒ですよね。 だからといって、そこから逃げていては子供にしわ寄せがいきます。 (私は、話し合える相手ではないと結論が出たので離婚しました。) どうしても対峙できない、仲良くなれないとなったら、とっとと別れましょう。 「それでも好き♡」なら仲良くしてください。 経済的に別れられない、と考えているのなら、それは怠けの言い訳だと自覚した上で「お金とは?」「真の幸福とは?」「子供にとっての幸福とは?」を自問自答してみてください。 夫婦仲は子供にとってはほとんど猶予がない問題です。 「例えば登校拒否」という題名に対する具体的な内容では今回ありませんし、偉そうなことを書いてしまいましたが、子供を観ていない親御さんを見ると、当時の自分の気持ちを思い出し、当時の親のことを思い出し、子供の立場でやるせなくなるのです。 でもその親御さんの元に生まれたのもそのお子さんの宿命。 それを背負ってまた生きていく。 私が図画工作クラブを始めるのは、娘を後押しするため、というのがきっかけですが、参加するお子さん(元お子さんな大人も)を観ることが主目的です。 当時の私にもそういう大人がいてくれたらよかったな、と。
by norbulingka
| 2019-05-28 09:53
| 子供と
|
ファン申請 |
||